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  • 執筆者の写真Kakizaki Eugene

これまでのこと そして これからのこと

みなさんお久しぶりです。

ツールドラヴニールで落車したことをお知らせしたのを最後にしばらく一切の更新をせず、そろそろ「あいつどこ行ったんだ?」なっている頃かと...。


ちゃんと元気にしています!


実はラヴニール終了後、すぐに日本に一時帰国していました。

幸い骨折等の重傷は見つからず、時間が体を直してくれる様子でしたが、残念ながら心が怪我をしてしまいました。

SNS等に投稿することで、必要以上の心配をかけてしまわないために、あえて何も言わないでいました。


今年は正真正銘U23最後の年で、ここで結果を出さなければヨーロッパプロへの道は一段と険しくなります。

今シーズンはコロナの影響を受けて予定より少し遅れて、3月中旬の渡仏となりました。

シーズン初戦のJPT開幕戦 播磨クリテリウムで2位に入って幸先の良いスタートを切り、大きな自信をつけてフランスに渡りました。

しかし待っていたのは約2ヶ月に及ぶロックダウン生活。

4月初旬から5月末まで一度もレースを走れないままひたすら一人で練習することしかできない毎日に、流石に心が折れかけました。

完全に心が折れかけて練習もままならなくなり始めた時、監督がフランス車連にカテゴリー変更を申請して受理され、ようやくレースを走れるようになりました。

しかし2ヶ月の空白を埋めることはそう簡単にはいかず、ようやく結果を出せるようになったのはシーズンも中盤に差し掛かった6月中旬からでした。

第1カテゴリーのクリテリウムでの3位表彰台、集団先頭をとっての7位、そしてエリートナショナル の中でも特に格式高いとされているクラシック・ブルトンヌの一戦 マンシュ=オセアンでの優勝争いののちの15位。

あと一歩、あと少し、常に光が見えながら追いかけて着実に近づいていました。


そして7月中旬にツールドラヴニールへの代表選出の一報が入り、全てをそこに注いで準備をしました。

ラヴニール前最後に出場したロンド=マイエンヌ(エリートナショナル)では総合13位。

初日の小さなミスさえなければ総合8位入れたほどに、過去に経験したことのない好調さを持ってラヴニールを迎えました。


ラヴニールでは前半のステージ成績・ポイント賞獲得を目標にしていました。

そう簡単にいかないことはわかっていたけれど、ギヤさえ噛み合えば実現できる目標だったと思っています。

しかし現実は甘くなく、早速歯車は狂ってしまったのです。


第1ステージ:終盤の3級山岳を集団前方(我々が少人数で入っていける最前方)でクリアしてゴールに向けて理想通りの走りをしていたところで細い下りのさもないコーナーで突然目の前で落車が発生し、避けるスペースもなくダメージを最小限に抑えるべく草むらに転び、自転車の後ろ半分がバラバラに破損。その時点で勝負は終わり、スペアバイクでゴール。


第2ステージ:この日はチームTT。チームのためにやれることをやったのみ。


第3ステージ:雨+横風のタフなステージ。スタート後から風による分断と落車を避けるために単騎だが集団前方をキープ。雨が強まって街中を通過する時などは集団の先頭に出て安全を確保。しかし非常に滑る路面の下り区間で集団先頭でドイツ選手が落車。そこから後ろはまるでスケートリンクのように皆が滑り転げていき、自分も落車。スペアバイクへの交換タイミングをミスし、最終グルペットでのゴールとなってしまった。


第4ステージ:今大会最長ステージの180km。スプリントステージは最後になる可能性もあり、今度こそはと意気込んでスタート。逃げに乗る選択肢も考えアタック合戦に入っていくが、少人数の逃げになったため見送る。その後は集団のできるだけ前方を維持するように走り、この日は日本チームでまとまって位置取ることができていた。しかし要注意ポイントであった140km地点から落車が頻発し始め、まさに残り40km地点の下り基調の直線で一瞬横風が吹いてオランダチームがペースアップした時に左端で落車が起き、気がついたときには右端にいた自分も地面に投げ出されていた。

頭を強打し、膝がえぐれ、しばらく立ち上がれなかったが我に帰って自転車の曲がったハンドルを直してもらってリスタート。

残り40kmを一人で時々ぼーっと意識が抜けかけながら痛みに耐えて完走。


しかしここで私の最初で最後のツールドラヴニールは終わりました。


なぜ転けたのか?何か悪いことでもしたのか?何がいけなかったのか?

ずっと考えていましたが、考えれば考えるほど負のサイクルに落ちていくようで、怖くて、そもそも自分でも理解が追い付かないほど、こんな経験は初めてでした。

まるで勝負の神様に「やめておけ」とでも言われているかのような気さえしました。


そもそも、このレースに何かを掛けて挑む時点で間違っていたのかもしれないと、今は思っています。

このレースで結果を出すということは、もう掴むものは掴んでいて、それをより確実にするように、いわば答え合わせをするようなことのなのかなと。


さて、ラヴニールのレポートのようになりましたが、どれだけ僕が心に怪我をしたのかはこれで伝わったでしょうか...。

絶好調だったが故に、受けたダメージも大きくなったのです。

このままフランスに残ってシーズン最後まで「走る」ことはできたと思います。

ですがもはや今は、「走る」ことに特別な意味はなく、「勝負する」ことに意味があるのです。

70%の状態で勝負できるほど、フランスのエリートナショナルは甘くありません。

それ故に、一番早く100%回復して、レースで勝負できるコンディションに戻るための選択として、大胆ではありましたが日本に帰国することを選びました。


そして今日、フランスに戻ってきました。

とは言っても短期間の再渡仏となる予定です。

このあと数レースを走り、それが怪我からの復帰戦となります。


そしてロードシーズンのラストは、10月下旬に予定されている全日本選手権の予定です。

当初、全日本選手権への出場にはあまり積極的ではなく、フランスでのシーズンを削ってまで出場する選択肢は自分の中にはありませんでした。

しかし、今年がU23カテゴリー最後の一つのカテゴリーを終える節目の年であり、完全に拠点をフランスに移してから2年経ち、これまで自分がやってきたことが正しかったと証明し、自分で自分の答え合わせを、そして日本中で文句なく納得してもらいたいという気持ちが強く芽生えました。

これはU23だけではなくジュニアの時代に遡り、6年間の答え合わせです。


来年のことはまだお伝えできませんが、まずは1ヶ月後に全日本選手権で最高の走りをするために、準備をしていることを先にお伝えしておきます。


EUGENENDLESS を忘れずに、走り続けます。

今後とも、応援よろしくお願いします。


蠣崎優仁

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